卍ブログ

のうみそ文章置き場 ポエム

内証

 かつて私は苦痛を神格化していた。もろもろの問題・苦痛から逃避する手段として童心の私はより直接的な痛みに救いを見出すようになった。

 錆びたカミソリで刻まれたようなもどかしい痛みに苦しんだ末に、矛盾しているようでもあるが、より研ぎ澄まされた劇的な苦痛を思うようになったのだ。そして実際に、その痛みは私の罪業感を満たす唯一の物だった。

 その空虚な鋭さ。感性の針が私の救いになった。

 私は意地汚く、痛みを抱えたキャラクターが好きだ。意地汚さに人間らしさを感じ、その上、そういった痛みにはたやすく共感できるからだ。その歪んだ熱量の強烈な感情が私を引き付けて離さなかった。

 そして最近気づいたが、かつての私は無意識にそのキャラクターの苦痛を羨んでいたようだった。あるいは、自分と同じような病んだ人間と一緒に過ごしたいという、叶えようのない欲求に対する代償だったのかもしれない。